研究所長よりの挨拶

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  はじめまして
 このたび、私こと、八木雄二は、研究所の所長を拝命しました。
 この組織のそもそもの前身は1983年に開設された「東京ボナヴェントゥラ研究所」です。そのときから所長として中心的にはたらいてきてくださったのは、坂口昂吉慶応義塾大学名誉教授でした。このたび研究所の組織替えを行うに当たって、開設当時からずっと一会員に過ぎなかった私が、研究所の所長という大命をお引きうけすることになりました。これまで坂口先生には、いろいろなものを頂いてまいりました。小生がキリスト教神学(ドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」)の問題で博士号(文学博士号)を得た論文についても、副審査員をしていただいたこともその一つです。

 個人的な思いから挨拶を始めさせていただきました。しかし、個人的なことにこそ、このたび研究所の所長を引きうけた理由があるのです。キリスト教もイスラム教も、あるいは仏教も、どの宗教においても、信仰とは、当人が限りない神からの恵みに気づく力であるとわたしは考えます。私自身はクリスチャンではありませんが、それに気づくことがなければ、どんなに神を「愛しても」、神を「たたえても」、じつは少しも神を知らないし、仏の悟りも理解できないと考えます。

 そしてその恵みが、ときに人を介して行われることも自明の事実です。じつに多くの人を介して、私もこれまでに多くの気づきを得てきました。そして信仰とは、神の恵みに気づくことであると言えるなら、信仰を深めるとは「気づきを増やし」、「恵みへの感謝を深めること」であるほかありません。そして、与えられた恵みに対しては、「自分にできること」でお返しするしかありません。それが自分を造った神の望みであるはずだからです。

 これが私が所長という大役を引き受けた理由です。

 しかし実際に、キリスト教神学はわたしたちにとって「恵み」となるでしょうか。キリスト教神学と一言で言っても、じつは多様多彩です。中世においても、大学で講義された神学もあれば、修道院で語られた神学もあります。そこからわたしたちが信仰を深めるうえで学ぶことがあれば、それは恵みとなるでしょう。そしてこの会に多くの人が集えば、それだけ人を介した恵みがあるでしょう。

 将来を決めるのは神です。でもその将来を「恵み」として受け取るか、あるいは「裁き」として受け取るほかないか、そのどちらであるかを決めるのは、わたしたち一人一人です。恵みを知り、わたしたち一人一人に感謝があるなら、それぞれ成すべき責任に気づくことになるでしょう。一方、裁きを怖れて道を歩まないことになれば、裁きは必然になります。道を歩んで恵みを受け取る勇気をもつか、もたないか、それはわたしたち自身が決めることです。その気づきと感謝と勇気を育て、キリスト教神学を恵みとしていくのが、この会の役割だと思います。

 ぜひとも、みなさんにも頼んで、この会を育てていきたいと思います。

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