2024年1月 アーカイブ

2024年1月31日 2時07分52秒 (Wed)

キリスト教の教え 7 八木雄二

キリストの教え 7

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15.悲しみの複合と愛の複合

 すでに説明した通り、イエスが亡くなって後、しばらくすると、「キリスト教徒」と呼ばれる人たちが現れました。離れたところに暮らしていたパウロは、イエスやヨハネを直接には知りませんでした。イエスやヨハネは、ユダヤ教の信仰の敵だと教えられていただけだったのでしょう。その教えはまだパウロの耳には正しく伝えられていませんでした。パウロは当初、キリスト教徒をとらえ、ユダヤ社会から排除する役を担いました。ところが何か特別なことがあったらしく(神の光に打たれたと言われます)、パウロは立場をひるがえし、とつぜんキリスト教徒となりました。
しかし、キリスト教徒の敵であったパウロが心をひるがえしてキリスト教徒の味方になるためには、心から彼らの仲間にならなければなりません。そのためには、パウロはイエスを失った弟子たちが懐いた「悔い」に、共感し、寄り沿う必要がありました。パウロはイエスを直接には知りません。ただその教えは、どこかで聞いたのでしょう。神のような人であったという弟子たちのことばに、賛同したでしょう。そしてイエスが十字架刑で死んでしまったことについては、やはり無念であったに違いありません。しかし彼は、目の前でイエスを失った弟子たちの思いに共感できなければ、同じキリスト教徒として彼らに受け入れてもらえないと、感じたに違いありません。そのため彼は、イエスの十字架刑に関して、自分を含めてその場に居なかった人々が弟子たちの「悔い」に、同じくらいの悲しみで共感できるような物語を作ったのです。

 もともと、イエス自身が教えたのは自分の罪を悔いる静かな悲しみでした。他方、その死を前にした弟子たちの悲しみは、後悔と、師を失った悲しみでした。もしかしたら自分たちのせいで人生の師が十字架刑という残虐な仕方で殺されたのではないかという、悔いと悲しみです。その弟子たちの悲しみに寄り添うために、パウロは、わたしたちから見ると、「想像するだに恐ろしい物語」を重ねたのです。父なる神がおのれの子を、人間の罪を帳消しにするために十字架に掛けるという物語です。ユダヤ人最初の族長アブラハムは、神から自分の息子イサクを犠牲に捧げろと命じられたことがありました(「創世記」22)。ですから当時のユダヤでは、神は、「厳しく冷酷な神」として恐れられていたのです。そういうことが過去にあったと聞いていたユダヤ人は、パウロの話をありえないことだとは思えませんでした。
 じっさい、その物語を聞いた人は、父親の立場に立って、子の苦しみを前にする父の悲しみを想像し、その深甚の辛さを覚えました。そして同時に、それほどまでして神は人間の罪を帳消しにしてくれたと、つまりそれほどまで人間を愛してくれたと、考えることができました。人間に対する深甚の「神の愛」が教えられたのです。あるいは、その父の命じるままに人間のために十字架刑に掛けられた神の子「イエスの愛」も、同じように深いものだと教えられたのです。

 そのような物語を考え付いたパウロの心は、おそらく彼の最後の手紙「ローマ信徒への手紙」のうちに最終的な姿があります。その末尾には、「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々の仲間になりなさい。自分は賢い者だとうぬぼれてはなりません」(12‐15・16)とあります。パウロはもともとユダヤ教会のインテリに属していたと想像されます。律法学者だったかもしれません。ですから、キリスト教徒になったパウロにとって、イエスの弟子たちは身分の低いひとたちであり、賢さで劣った人たちでした。しかしキリスト教徒となるためには、真摯に彼らと共感する必要がありました。先に引用したことばは、パウロがイエスの弟子たちを前にして身を低くしなければならなかったこと、またパウロが「彼らとの共感」を大事にしていたことが、よく現れています。
また人間どうしの喜びと悲しみの共感は、民衆の間でよく見られるものです。現代でも、何らかの不幸に出会った人の間では、共感が最大の慰めになります。ヨーロッパの地にあるスウェーデンの古い諺「喜びは互いに分かち合えば二倍になる。悲しみは分かち合えば半分になる」は、日本のわたしたちにも、まことに真理だと分かることです。キリスト教由来の諺とは言えません。その北欧の諺とパウロのことばは、明らかに同じことを語っています。ということは、パウロのことばも、イエスの教えではなく、当地にあった民間の金言が紛れ込んでいると考えることができます。

 

 しかし、「ローマ信徒への手紙」の先のことばには、続けて、「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人に善いことを行うように心がけなさい」(12‐17)とあります。こちらのほうは、イエスの教え(隣人愛)に含まれるものです。というのも、後に詳しく触れるつもりですが、イエスの教える隣人愛は、すでに隣人になっている(友人ないし仲間)人を愛しなさい、という教えではなく、敵対する人に対しても、正しいことをしなさい、という教えだからです。先の、民間の金言にあってもおかしくない教えとは、すでに友人である人、家族であるとか、何らかの付き合いがすでにあった人の間で、共感することの大切さを教えるものです。二つは異なる教えです。
 もちろん、どちらも、いい教えです。しかし、ふたつの教えは、別々の教えです。「ローマ信徒への手紙」ではこの二つの教えがまるで何の違いもないかのように、続けて述べられています。しかし、二つの教えは根本的に違いがあるのですから、理屈のうえでは二つの文はつながりません。前者は、人と人のつながりの大切さ、悲しみと喜びの共感がそれを実現することを教えていますが、後者は、各自が、誰に対しても正しいこと、善いことをするように、という教えです。つまり前者は、仲間の間のつながりを深くする教えであり、後者は、他者に対する態度を、たとえ敵対していてもあなたは正しいことを相手にしなければならない、悪いことをされたからといって悪いことをしてはならない、という教えです。仲間の間についての教えではなく、一個の孤独な人間が他者に対してどのように生きるべきかを教えている教えです。前者が後者の、あるいは逆に、後者が前者の理由になっていません。
 パウロはそれらを無関連に続けています。パウロがイエスの教えの独自性を認識していないことは、明らかです。
そしてイエスの十字架上の死についてパウロが作り出した物語は、後に正式にキリスト教会の教義となりました。その物語は神のうちに「父と子」を想定し、父と子が理解し合うことがむずかしい関係と、それでも無言のうちに相互に響き合う「愛」を、神のうちに想定しています。それは人間の父と子の間にも見られることです。こうして民衆が一般的にもっている家族経験に訴えることに依って、パウロは物語の内容を、なるほどと思わせることに成功しているのです。
 それまでにあったユダヤ教の神は、民衆を導き、厳しく叱咤する国王のような神でした。それに対してパウロが描き出した神は、同じように力強くもありながら、同時に、民衆のなかの人間味を具えた神でもあるという、多くのものを含み込んだ複合的な神でした。
 こうしてパウロの教える信仰には、一見したところ良い教えの混合(矛盾)があります。しかしそれでも、その多彩な説得力に依って、パウロの教えるキリスト教信仰はギリシア文化地域とローマ人たちの間に、広く伝わったのです。

 

 言うまでもなく、エルサレムに乗り込んでまで神の教えを伝えたイエスの勇敢さは、たたえられるべきでしょう。その意味で、パウロがイエスの死を無駄にしてはならないと考えたことは、同様にたたえられるべきことです。それがキリスト教に秘められた正義だとすれば、キリスト教は正義の宗教でしょう。とはいえ、パウロの説明にはいくつもの混同があります。もしかしたらパウロも、それは意識していたのかもしれません。旧約聖書のなかのイザヤ書に書かれていた一文を根拠にして、彼は「コリント教会への第一の手紙」のなかで、つぎのように言っています。

 「どこに知恵者が居るというのか。学者がどこに居るというのか。どこにこの世の論客が居るというのか。神はこの世の知恵を愚かなものとされたではないか(と、預言者イザヤは言っている)。事実、この世は神の知恵に囲まれているのに、人はみずからの知恵によって神を知るには至りませんでした。そのため、神は信じる人々を宣教という愚かなことによって救うほうがよいとされました。それというのも、ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求していますが、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣(の)べ伝えているからです」(コリント教会への第一の手紙、1-21‐3)

 この文をよく読んでみると、パウロは「十字架についたキリスト」を宣教することは、「愚かなこと」を宣教することだと言っています。しかし同時に、それによって人を救うことを、神は「良し」とされたと、理解しています。ユダヤ人は特別な「しるし」、つまり奇跡や、奇跡的一致、預言その他の神を思わせる不思議な出来事によって神を信ずるように促されることを好み、ギリシア人は「哲学」という知恵の追求に依って知られることしか信じようとしないと、彼は言うのです。そしてどちらも、それではだめだと言います。パウロは、イザヤという偉大な預言者が言うとおり、人間は知恵があると思って奢っているが、本当に知恵をもつことができる人間は一人もいないのであって、知恵はただ神のみがもっていると言うのです。

 

 以上のことから、人間は本質的に愚かだから、「愚かなこと」を通してしか「神を知る」ことはできないと、彼は言います。そして神はそうすることを肯った、よしとした、と言うのです。そのように考え、そのように言うことで、パウロは哲学の道をあえてたどらないのです。むしろパウロは、自分が語る突飛な物語こそ、神が愚かな人間を救うために用意した愚かな道だと、宣言したのです。
一般に言われる「キリスト教」は、パウロのこの宣言で生まれたものです。


2024年1月24日 23時16分44秒 (Wed)

キリスト教の教え 6 八木雄二

キリストの教え 6
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東京キリスト教神学研究所 所長八木雄二

キリストの教え 6

14.「悔い改め」の洗礼

 イエスは年長のヨハネという人物(福音書記述者のヨハネと同名であっても全くの別人)に会い、教えを受けています。ヨハネは、預言者ではないかという噂が当時のイスラエル社会に広がっていました。すでに著名な聖人だったようです。洗礼とは、神の前に悔い改めるための身の浄めです。水をかぶって身を清める儀式をともなう「悔い改め」が、ヨハネの洗礼です。福音書の記述によれば、ヨハネはそれを、エルサレムからは少し離れた徒歩で一日あれば往復できるくらいの距離にあったヨルダン川の岸辺で行っていました。エルサレムの市内からも郊外からも、多くの男女が彼の洗礼を受けに来たと言われています。
 イエスも、ヨハネから洗礼を受けました。しかしその後、とつぜんヨハネはローマの役人に捕縛され、まもなく殺されてしまいました。これを耳にしてイエスは自分も捕まるのではないかと恐れ、国境地域へ逃げたようです。しかしヨハネが捕縛され殺された理由は、ユダヤ地域の管轄を任されていた領主ヘロデの個人的事情に過ぎませんでした。聖書によれば、ヨハネがそのヘロデの夫婦関係を批判したという噂が民衆のうちに立ったために、ヨハネは捕まって牢屋に入れられたと言われています。
 ところがそれで終わりませんでした。心労が重なっていたヘロデがたまたま自分の慰みにと、少女サロメの舞踊を見て、思いのほか喜び、なんでも望みのものを、と約束したところ、彼女が母親と相談してヨハネの首を求めたのです。領主としての威厳もあり、皆の前で口にしたばかりの約束を反故にできず、ヘロデはヨハネの首をはねて持ってくるようにと、部下に命じました。こうしてヨハネは殺されたのです。おそらくサロメの母親が、ヨハネに、何らかの恨みを持っていたのでしょう。
 つまりヨハネが殺された理由は、領主ヘロデとサロメの母親の、じつにくだらない理由によるものだったようです。ヨハネが洗礼に際して教えていた内容によるものではなかったのです。しかし、イエスはその事実を耳にしなかったようです。てっきり師のヨハネは、新たな教えのために捕まって殺されたと思い、ヨハネの弟子を名乗っていた自分も捕まると思い込んでしまったようです。
 イエスはローマの官警の目から逃れようと、ガラテヤ地方と呼ばれるところのさらに他の地方との境のあたりまで行って身を隠すのですが、しばらくしてローマの警察は自分を追っていないと気付いて安堵し、落ち着くと、ヨハネの教えを思い起こしたのでしょう、自分の愚かな考えを改め、ヨハネ亡きあとのユダヤ人たちの世界に、ヨハネに教えられた神の教えを伝える活動を、彼なりの仕方で再開しました。

 

イエスはまず、エルサレムの外に広がる郊外地域で人々に教えを宣(の)べ伝えました。彼はガリラヤ湖畔で数人の弟子を得て、彼らを連れて地方の村々を訪ねました。とはいえ、まだイエスはヨハネのように高名であったわけではありません。そのため、地方ではかならずしも話をよく聞いてもらえなかったようです。しばらくして、イエスは何かを決心したようです。何度も弟子たちから離れて、一人、夜の間にイエスは祈りました。おそらく重大な決心を固めるための祈りだったのでしょう。彼はついにエルサレムの街中に入って、「悔い改め」の教えを伝える活動を始めたのです。エルサレム市内では、すでにヨハネの教えを噂であっても聞いていた人が多かったはずです。類似のイエスの宣教に対して、なんらかの手ごたえがあったに違いありません。イエスはエルサレム市内には日中だけ入り、神殿に行って教えをそこに居た人々に述べ、夜間は市外の山に隠れた生活を送るようになりました。
 このように、イエスが夜になれば市外に出る生活を始めたのは、当時エルサレムの中心にあったユダヤ教会で実権を握っていた人たちの権威を、イエスの教えが脅かすものだったからです。イエスはじっさい、教会の聖域で店舗を開いていた商人たちに激怒して彼らを追い払ったりしていました。しかし商人たちは売り上げの一部を教会の祭司たちに渡していたでしょう。イエスの行為は教会を管轄している人たちへの批判になりました。

 もちろんイエスの行為を教会人がよく思わなかったのは、それだけではありませんでした。当時のユダヤの体制では、宗教的権威をもつ人たちがもっとも高い地位に居ました。ユダヤ教の祭司と、それに従属する人たちです。彼らは、自分たちの生活を維持するためには民衆から崇められ、畏れられていなければなりません。ところがイエスの教えはかつて高名であったヨハネの教えと同類のものであったので、相変わらず人々の間で人気があったのです。
 ユダヤ教会が教えていたのは、戒律(十戒)を厳守する生活規範でした。それに対してイエスがヨハネから受け継いだ教えは心を改めさせる教えであって、行動を規制する教えではありませんでした。ヨハネが教えていたことは、たしかに本質的にイエスの教えと同じでしたが、ヨハネの宣教は市外の、それもある程度市から離れたところで行われていたので、ユダヤ教会の司祭たちも、なんとか我慢ができるものでした。ところがイエスはあろうことか市中に入って来て、それも中心となる教会、自分たちの根城で教えたのです。我慢の限界を超えていました。彼らにとって、イエスの教えは民衆の心をユダヤ教会から離れさせるものであり、自分たちの膝元で自分たちの地位を脅かすものでした。


イエスの捕縛は、ユダヤ教会の祭司やその取り巻きに先導された一部の民衆に依って、「過ぎ越し」の祭りの夜に行われました。過ぎ越しの祭りは、モーセによるエジプト脱出を思い起こすユダヤ人の大切な祭りです。夜に人々が共にする食事を伝統的なもの(粗末な内容の食事)とする祭りでした。ただし、イエスの捕縛自体は、宵闇にまぎれての捕縛で、違法なものでした。イエスのしていた宗教行為は、何らローマの法律には違反していなかったからです。何ら犯罪を冒していない人間を一般人が捕縛することは、ローマの法律に反していました。したがってローマの官警の目が効いている日中では、イエスを捕縛すれば捕縛するほうが捕まってしまったのです。
 イエスは、エルサレム市内の信者の館で過ぎ越しの夕餉に出ました。危険があっても出なければならなかったのでしょう。弟子たちにそこでの夕餉を懇願されたからと思われます。本人は、夜間もエルサレムに残る危険は十分に承知していたはずです。そして、それが彼の「最後の晩餐」になりました。イエスは晩餐を終えると、市の門を出て、弟子たちといつもの隠れ家へと向かいました。市内では何も起きませんでした。市内での乱暴は夜であってもローマの役人の目に留まらないとはかぎらないと考えられたからでしょう。あるいは市内ではイエスの教えに心を留めていた人が少なくなかったからかもしれません。イエスが町を出て間もなく、イエスの後を追っていた民衆は、何らかの合図のもとに暴徒となってイエスを首尾よく捕らえました。聖書によれば、弟子のユダの裏切りがあったと言われています。そしてユダヤ教会の祭司たちの前に、暴徒はイエスを突き出しました。
 祭司たちは、イエスを問い詰めてもなかなか思うような言動が得られず、困ったようです。当時はエルサレムもローマの占領地であり、ローマ帝国に組み入れられていました。結局、自分は「神の子」であるというイエスの言質を、ローマからの「独立運動」を起こす「ユダヤ人を導く王」(マタイ27−37)の意味に無理やりとって、「この人間はローマから独立しようと、ローマに反抗している、十字架刑に値する」と言ってイエスをローマの総督ピラトに引き渡しました。ピラトも、この処置には困り果て、結局、役所の前に集まった民衆の声を聴くことにしました。しかし集まった民衆たちは、多くが祭司たちに扇動された人々でした。当然、イエスの放免よりもイエス処刑の声が大きかったのです。ピラト総督も、自分の管轄地域の治安維持の必要から、その声に応じるほかありませんでした。仕方なくイエスを十字架に掛けることにしました。


こうして十字架刑が決定したイエスは、すでに述べたような残虐な仕方で殺されました。
 それを目にせざるを得なかった弟子たちの「悔い」は、相当なものだったはずです。弟子たちはイエスを、まだ若く(せいぜい三十歳くらいの年齢に見えた)、これから数十年は自分たちを導いてくれると思っていたのです。そのイエスを、十字架刑で死ぬ運命にしてしまったのは、自分たちの責任かもしれないと考えた可能性があります。貧しい自分たちが軽薄にも、過ぎ越しの祭りの夕餉を市内に家を持つ人のところでしたいと、イエスに懇願したせいだったのではないか、そういう思いが、弟子たちの心によぎったのではないかと思います。そうだとすれば、素朴な弟子たちの「悔い」は、相当なものだったと推測できます。そしてその結果、「復活を希望する」信仰が生まれたと推測できることは、すでに説明しました。

 


2024年1月19日 2時35分55秒 (Fri)

キリスト教の教え 5 八木雄二

キリストの教え (5)

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東京キリスト教神学研究所 所長八木雄二

キリストの教え 5

12.皇帝のものは皇帝に返して生きる


 イエスは、表に現れる行動や態度だけをつくろうことで、いかにもキリストの信者らしく生きればいいと教えているのではありません。ただ教会に出かけてそこでみなと一緒に祈ればいいと、教えているのではありません。ものごとを感じたり考えたりする心の原点から、あなたの「生き方」(信仰)を変えることを教えているのです。「生き方」を変えることは、それまでしていた生活の仕方を変えることです。しかも行動や態度だけでなく、「心のはたらき」を含めて変えることです。そのためにイエスは、人が常識と見ているわたしたちの社会の前提を「無」にすることを教えているのです。

 イエスは当時使われていた銀貨に皇帝の肖像があるのを確かめて、「それなら皇帝のものは皇帝に返しなさい。神のものは神に返しなさい」と述べました(マタイ22‐21)。

 「皇帝のもの」というのは銀貨であり、金銭です。「神のもの」というのは、わたしたちの生死です。生きている間、わたしたちは自由にいろいろな場面で様々なことを決めていますが、生まれてくることと死ぬことは自分の自由になりません。永遠に生きたいと思っても、そうはいきません。生きているうちにこれだけはしておきたいと思っても、思い通りにはいきません。別の時代に生まれたかった、と思っても、今に生まれて来た事実が現実です。生きる根底にある生死の選択は、それがいつのことになるか、全面的に神にまかされています。

 基本的に、自分の自由にならないものとは、わたしたちの所有ではないということです。自分のものなら、自分でどのように処分しようと、どのように使おうと、自分の勝手がゆるされています。しかし、他人のものは、その他人にまかさなければなりません。使うにしても、所有者のゆるす方法でしかゆるされません。他人のものを自分の自由にすることは、盗みであり、越権行為であり、犯罪だからです。したがって手元にあろうと、金銭は皇帝のものです。それを焼いてしまうとか、別の姿に勝手に変えてしまうのは、皇帝のもとでは犯罪です。金銭は皇帝の領地内で使用が皇帝によってゆるされているだけです。

ところで、わたしたちの生死は自分の自由になりません。それが自分のものではないからです。しかし皇帝のものでもありません。ですから、自分の生死はそれを自分が決めることも、皇帝にまかせることも間違いです。自分のものではないから自殺は犯罪です。自分で自分の死を決めることは、神のものを人間が「自分のもの」とすることだからです。同じ理由で、自分の命を皇帝に預けて従軍することも、神に対する犯罪です。ですから、皇帝が戦争のために従軍を命じることは、本当は神に対する越権行為であり、神に対する皇帝の犯罪です。
 現代社会において国家が従軍を命ずることがゆるされているのは、一般世間が国家権力者を「神」と同じ「至高のもの」と認め、それが築いている「分業体制」を自分たちが生活するための土台(前提)にしているからです。社会がもっている「分業体制」を自分たちが生きる前提にしていれば、わたしたちは、分業体制を束ねている者を「自分を生かしてくれている神」と見なしていることに等しいからです。

「そんなふうにわたしは考えていない」と、あなたが叫ぼうと、それはあなたの心自身には無意味な叫びです。自分が現実に生きている社会やその統制者について十分に考え直すこと、吟味すること、調べてみることをしていないから、人は無意識のうちにこの社会の「分業体制」を受け入れて、それを前提にしてものごとを、そして自分の人生を、何の疑問もなく理解しているのです。そしてそのことについては何の疑問もなしに考えているために、いざ自分の判断が求められ、それによって将来が決まって来る事態に追い込まれたとき、たいていの人は迷路にはまります。自分の生き方に悩み、職業の選択に悩みます。決意しても、本当にこれでいいのかと、不安になります。そしてそうなる理由は、目の前の分業体制を前提にして生きるすべしか考えることができないからです。
そしてそのように人生を理解することしかできないために、真に生きるためのイエスの「教え」が、よくわからないことになるのです。


たとえばイエスが教えのために取り挙げた金銭は、分業体制を人々の間で公明に運営するために不可欠のものです。ある人の仕事の一部を他の人の仕事の一部と交換することで、仕事を分担する分業体制は維持されます。工業分野の仕事をした人は、その生産物を、農業分野、水産分野で仕事をした人の生産物と交換できなければ、食べることが出来ず、生きていけません。人間が生きていけないのであれば、当然、人間の分業体制は成り立ちません。しかし、分業体制を成り立たせるためには、今しがた述べたように、それぞれの生産物が交換されなければなりません。そしてそのためには生産物が正当な金額で評価されなければなりません。さまざまな分野でそれが公明正大になされるとき、はじめて分業体制はわたしたちの生活を立派に支えることができます。
 各分野の生産物が金額によって評価されるとき、それが人々の目に公明正大でなければ、納得の行く生活(心も満足する生活)は成り立ちません。お金の動きが人々の目から隠されるとき、分業体制は信頼を失います。
このように金銭の動きは、公明正大であれば納得の行く生活の支えとなるものです。そして金銭が支えるその生活は、分業体制あっての生活です。

ただしそのトップには神ではなく皇帝が居ます。この社会の分業体制は、神ではなく、皇帝が「良い」と認めている体制です。そして金銭はその体制を支えるものです。言い換えれば、金銭は何よりもその分業体制をもつ社会の所有物です。したがって金銭はそのトップに居る「皇帝のもの」です。皇帝が自由にできるものです。そして皇帝が一般庶民に分配して「自由に使っていい」と言っているものです。一時的に庶民に渡し、じっさい庶民は一時的にその「使用権」を得ています。

イエスは、それを「そっくり返しなさい」と言ったのです。しかし金銭を返してしまえば皇帝が牛耳っている「分業体制」の中に生きることはできなくなります。一定の仕事をしているわたしたちは、ほかの人の仕事の生産物を金銭を介して受け取ることで、自分がしていない仕事の生産物を得て生活しているのですから、金銭がなければ、生活できなくなります。「貧しい」という段階ではなく、「生活」そのものが無くなります。ただし、皇帝のもとでの生活です。つまり金銭を失えば、皇帝が統制している社会体制のもとでの生活が無くなるのです。

しかしすでに解明されたように、分業体制から社会の中に上下の秩序が生まれます。その秩序はそもそも経済的なものです。貧乏な人たちと、お金に余裕のある人たちという秩序です。それが暴力的な要素をもつようになれば、虐待が生じます。虐げられる人たちと、虐げる側に居る人たちに分かれます。イエスは、金銭を皇帝に返せと言うことで、この秩序自体から「離れて生きるように」薦めているのです。つまり社会のなかにできる秩序の上下、そのどちらの側ににもつかず、どちらの側からも無関係な生き方をしなさい、というのです。皇帝のものとなっている社会の秩序は、お金持ちだけでできているのではないからです。お金持ちと貧乏人の両方が居て、はじめて社会は成り立っているのです。ですから皇帝のものを皇帝に返すなら、そのどちらの側からも離れなければなりません。金持ちの味方になるのでもなければ、貧乏な人たちの味方になることでもありません。金持ちの側にも、貧乏人の側にもつかない生き方をしろ、と言うのです。

 一体どういう生き方をしなさいと、イエスは言うのでしょうか。分業体制を土台にして生きる生活しか知らない者には、分業体制から離れた生活は、とうてい想像できない生活です。金銭を用いない生活とは、どういう生活でしょうか。何であれ、わたしたちがものごとを現実的に思考するうえでもっている前提は、これまで分業体制の生活の中で経験したことしかありません。しかし、「皇帝のものは皇帝に返せ」と言われたとき、わたしたちはイエスから、わたしたちが生活するその「当たり前」の前提を、まったく「無し」にしなさいと、言われたのです。


13.神のものは神に返す

 皇帝のものは皇帝に返したとき、ではそこにはどういう生活が待っているのか。
 イエスは、「皇帝のものは皇帝に返せ」と言ったあと、「神のものは神に返す」ことを命じています。「神のもの」とは、わたしたちの「生死」です。すなわち、どのように生きて、どのように死ぬかは、神にまかせろと、イエスは言うのです。
 しかし、わたしたちはこれまで自分の判断で生きて来ました。ところで、判断するためには「どうすればいいか」考えなければなりません。「どうすればいいか」自分で考えるか、人に聴くか、それも自分の判断です。わたしたちは幼い時には大人に聴いてどうすればいいか判断していました。そして多くの人は大人になっても他の人に聴いてどうすればいいか判断しています。だれにも聴かずに判断する人は、自分の無知が分かっていない人、考えの足りない人と思われています。「聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥」と言われています。
 ところが、どのように生きるか、神に聴けと、イエスは言うのです。皇帝のもとに生きている周りの人間の言うことを、「聞くな」と言うのです。皇帝のもとに生きている他者の生き方を拒否して、つまり皇帝の言うことを聴いて生きることをまったく拒否して、ただ神の言うことを聴いて生きろ、と言うのです。

 たしかに、だれであれ、生死そのものは、つまり自分がいつ、どこに生まれるかは、自分の勝手にはできません。神にまかせるしかありません。これは皇帝のもとの生活でも変わりません。手術が成功しようと失敗しようと、いつか死ぬのです。このことは変わりません。その「いつ」は、何があろうと、わたしたちには分かりません。しかしイエスは、皇帝のものは皇帝に返して、そのうえで、神のものは神に返せと言っているのですから、神にまかせる生活をするときに、皇帝のもとでの生活を変えなくてもいい、ということではありません。皇帝の下での生活、皇帝の命令は、そっくり返して、そのうえで、どのように生きるかを「神に聴け」と言うのです。
 しかしどうすれば神の言うことが聴けるのでしょうか。特殊な才能を認められた巫女さんに聴けばわかるのでしょうか。それとも教会で一心不乱に祈ればいいのでしょうか。教会の司祭になれば神のことばが聴けるようになるのでしょうか。


イエスは、そんなことは言っていません。信者の間で決められたことは神が約束するということが聖書に書かれていますが、それは「復活」のことであって、その他もろもろすべて、ということではありません。それに、祈りが通じるというのは、人間のことばを神が聴くことであって、神のことばを人間が聴くことではありません。イエスが言っている「教え」は、あくまでも神のことばを聴くこと、聞いたことを実行することです。人間の願いを神に実行してもらうことではありません。

たしかにイエスの祈り(主の祈り)というものがあります。「天におられるわれらが父よ、み名が尊ばれますように、み国が来ますように。み国が天に行われるとおり、地にも行われますように。今日のかてを、今日お与えください。わたしの負い目をゆるしてください。同じようにわたしたちも、わたしたちに負い目のある者をゆるします。わたしたちを誘惑に陥らないように導き、わたしたちを悪から救ってください」(マタイ6−9‐13)。

 これは本当にイエス自身が弟子たちに勧めた祈りのことばか怪しいのですが、それでもそれは、自分の勝手な願いを神にかなえてもらうための祈りではありません。むしろ神の業がなされることを願うことばであり、つぎに自分たちの罪(負い目)に、目を留めることばです。そして最後に、誘惑に会わないように守り、悪から救い出してほしいと願う祈りです。最後のところは人間の願いですが、悪に陥らず、悪から離れることは自分勝手な願いではないでしょう。これを誤解すると、わたしたちはイエスの教えの理解から遠ざかってしまいます。わたしたちは「祈る」ということばで、その願いの内容が何であれ、自分の願いを神に聞き届けてもらうことだと考えてしまいがちですが、それは間違いなのです。


祈るということばについても、あるいは、ほかのことばについても、わたしたちが習慣的にもっていることばの意味付けをそのままにしていると、イエスが言う「ことば」は正しく理解されないのです。つまりそのことばでイエスは何を意味しているのかを、あらためてよく吟味しなければ、イエスの「教え」のことばの内容は理解できません。イエスの言うことは、これまでさまざまな人に依って解釈されて(もちろん大小さまざまな教会の解釈もあります)きました。しかしたいていは、全体が一貫して理解されるような解釈にはなっていないようです。ある箇所の文脈では話が通っていても、他の文脈との関連がまったく考慮されていない解釈であることが大半です。

 わたしたちはイエスの信仰を理解するために、とりあえず金銭についての有名なことばの意味を解釈することで、イエスの信仰が一般社会の常識が通じない土台をもっていることを「におわせる」ことぐらいはできたと思います。これからが大変です。イエスの「教え」を理解するために、わたしたちが通常もっている観念を一つ一つ吟味して、イエスの教えを理解できる観念をもつことができるように、心を修練することが必要です。少し長い道のりに感じられるかもしれませんが、付き合っていただきたいと思います。

 


2024年1月7日 17時38分47秒 (Sun)

キリスト教の教え 4 八木雄二

 

キリスト教の教え(4)

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東京キリスト教神学研究所 所長八木雄二

キリストの教え 4

9.「信仰」という言葉の理解



 わたしたちは日常生活のなかでは、自分の言うことが相手に当然伝わっていると思って話しています。話す相手が自分とふだんから同じような物事に接しているために、使っている「ことば」の意味が互いの間でほぼ同じ意味になっているからです。しかし、日頃から接しているものが違った印象になっている人との間では、同じことばが違った意味で伝わります。「家族」ですら、その中の人間関係はメンバーの人柄によって変わります。そのイメージを「楽しい」ものとして受け取る人も居れば、「辛い、逃げ出したい」イメージで受け取る人も居ます。
 イエスの言う「信仰」、あるいは、「信ずる」という言葉の意味も、自分が今思っているとおりのものだと、安易に考えることはできません。「神」も、「信ずる」という心のはたらきも、目に見えるものではないからです。目に見えるものなら、姿形、色、位置、大きさ、等々によってそれぞれを区別できます。声や音や肌触りに依っても、ある程度は言われたことの区別ができます。そうしたものなら、ほかの人が理解した同じ意味を、ことばから受け取ることができます。
 しかし目に見えず、耳に聞こえず、触れることもできないものとなると、そうはいきません。その意味を知るためには「ことば」に頼るしかありません。しかも、その頼るべき「ことば」が意味しているものは、やはり目に見えないもの、耳に聞こえないもの、触れることのできないものです。イエスが口にする「神」とか「愛」とか、どれも目に見えないもの、手に取ることのできないものです。たしかに聖書の中の「福音書」のなかでイエスはお金や杯など、手に取ることのできるものを口にして、目に見えない「何か」をたとえる話をしています。しかし「たとえ」が意味しているその「何か」は、やはり目に見えないものです。こうなると、イエスの教えを理解することは八方ふさがりにも思えます。
 他方、目に見えないものを言っているという点では、パウロたちの信仰も同じです。たしかに同じですが、とはいえ、パウロたちの信仰は、説明したように、イエスの十字架上の死のショックを起点として生まれています。イエスの教え自体は弟子を襲ったショックの背景に押しやられています。パウロの信仰の後ろに、まるで切り離すことが出来ない「しっぽ」のように引きずられて説明されています。
弟子がそのショックを受けた光景は、弟子の目に実際に見えた光景です。わたしたちも同じ光景を親しい師の姿として見れば、同じようにショックを受けるでしょう。その点では、パウロたちの信仰はイエスが教えた信仰と比べて、どういうものか、はるかによく見当の付けられるものです。
 キリスト教会の基準の信仰となったパウロたちの信仰の動機が、イエスの十字架上の死のショックにあったという説明を、それは本当かと、疑うひとも居るかもしれません。


 ヨーロッパには、「ピエタ」と題された絵画がいくつもあります。「ピエタ」は、たいてい「敬虔」と訳されています。しかしわかりやすいことばにすれば、「信じられている内容」を意味するギリシア語です。つまりその題名は、描かれているものを指して、「これが、わたしたちが信じていることだ」という意味です。「ピエタ」は、単純に「信仰」と訳しても間違いではありません。その絵画は、十字架で死んだイエスの遺体を抱いて人々が、あるいは聖母が、「悲しみ、悼む」姿を描いています。つまり「ピエタ」と題された絵画は、それがヨーロッパにおいてキリスト教信仰の出発点であることを、絵画という目に見えるかたちで示しているのです。
 あわせてパウロが、信仰において争いが起きていたコリントの教会に送った手紙の一文を紹介しておきます。「わたしがまずもっとも大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたしも受け継いだものです。すなわち、それはキリストが、聖書に書いてあった通りにわたしたちの罪のために死んでくださったこと、葬られたこと、また聖書に書いてある通りに三日目に復活したこと、そしてケファに現れ、次いで、十二人に現れたということです」。
 パウロは、まずキリストの死を悼みましょう、そして、つぎに復活を信ずることで私たちは癒されると言います。「最後の敵として死が滅ぼされる」と言います。未来への希望が生まれると言うのです。それが彼の伝える信仰です。
ですから、しいて言えば、キリスト教は日本では明るい面が強調され、結婚式やクリスマス・パーティーの様式で広がっていますが、実はむしろ「イエスの死を悼む」宗教として出発しているのです。たしかに「復活」の癒しが教えられますが、第一義には、イエスという人生の教師が殺されたことを「悼む」ことが、キリスト教会の教えるキリスト教の実体なのです。

欧米では、イエスの誕生を祝うというクリスマスが、イエスの運命を思って「家族内で」それも静かに祝われるのは、そのためだと思われます。言うまでもなく生前もイエスが人間社会で成功者であったことなど一度もありません。日本でイエスを人間社会の偉大な成功者であるかのように祝うのは、キリスト教の原点理解がないからだと思われます。逆に言えば、日本におけるクリスマスの陽気な騒ぎは、日本にはキリスト教信仰を理解している人がとても少ないことを見事に表しています。
今の日本では、「キリスト教」という名は、日本人が経験している教会の結婚式や親しい人が集まって楽しいパーティーを開く理由にされているために、そのイメージばかりで理解されてしまいがちなのです。しかし聖書(新約)はイエスが亡くなったあと、まだその悲しみを引きずっていたときにできたものです。そこに出てくることばは、実際には暗いイメージのものばかりです。そこにイメージのギャップがありすぎ、日本人には訳が分からなくなっている、というのが現実です。つまりイエスが言おうとしていた「信仰」だけでなく、イエスが亡くなったあとの世代であるパウロの言う「信仰」も、日本人の大部分は、それを理解するための経験が、日頃自分たちがキリスト教の名のもとに経験していることと相違があり過ぎているために、了解することが到底できない境遇にあるのです。なぜこうなったかというと、いくつかの要因が考えられますが、日本の商売上手の人たちが経済的利益のためにキリスト教の祝日を利用したということなのでしょう。
わたしたちは真実ではないことに騙されないように注意していなければなりません。

10.虐げられた人々と「支配の教義」

 パウロが当時のローマ帝国内に広めたキリスト教信仰は、説明したとおり、イエスの教えがいわば尻尾として付けられていても、第一義的には、十字架刑で殺されたキリストの姿から生まれた「悼み」の思いと、キリストの「復活」を弟子たちから教えられたことから生じた死後の未来への「希望」でした。つまり今は虐げられて苦しい生活をしていても、いつか、それも生きているうちにではなくても、そのときが来れば自分たちにも復活があって、天の国に生きることができる希望がある、そのことを神はキリストの死と復活を通して教えてくれたのだから、その神を信じれば、わたしたちはその希望を確かなことと信じて、喜びをもって生きて行くことが出来る、というものでした。


 しかしキリストの死の「悼み」と復活の「希望」だけでは、虐げられた人たちが「善い人」になるためには、不十分です。各地の教会で争いが起こり、分断が生じます。信仰さえ誓っておけば何をやっても許されると言って欲のままに生きる教会員も出てきました。イエスの教えの理解が不十分なままだったからです。とはいえ、パウロの信仰にはイエスの教えは不十分な仕方でしか含まれていません。パウロ自身、イエスの教えを十分には理解していませんでした。パウロのイエスの教えについての説明は、当時のヘレニズム社会の良識が反映されているだけです。つまりパウロも、おそらく自分がヘレニズム文化で育てられて知っていたこと以上のことは、よく分からなかったのだと思われます。
 パウロの手紙ではありませんがキリスト教会のなかで書かれたものが、つぎのように言っています。
 「ですから、力を尽くして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛にアガペーの愛を加えなさい。あなたがたがこれらの徳をおさめ、ますます豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを深く知るにあたって、むだ骨を折ることも、むなしく終わることもないでしょう」(ペトロの第二の手紙)。


 最初に出てくる「信仰」は、すでに説明してきたとおりのパウロの信仰内容です。それだけでは十分ではないので、「徳」、「知識」、「節制」、「忍耐」、「信心」、「兄弟愛」が加わり、最後に神の愛と言われる「アガペーの愛」が加えられています。これらのうち、「徳」、「知識」、「節制」、「信心」、「兄弟愛」は、ギリシア(ヘレニズム)で人間の生き方を善美なものにする能力(卓越力)として言われていたものです。また「信心」と訳されているものは、神を敬愛する心(ギリシア哲学の文脈では「敬神」と訳されている)、つまり神を信ずる心を指していて、信ずる内容は規定していません。そのためパウロの言う「信仰」(「悼み」と「希望」を内容としている)とは別に挙げられているのです。

 「兄弟愛」は、内容的には「アガペーの愛」と同じものです。人間同士の利害を超えた愛を指しています。また「徳」は、多くがソクラテスによって数え上げられました。「勇気」、「節制」、「敬神」、「智慧」、「正義」です。このうち「敬神」は先に述べたように「信心」と同じ(同じギリシア語)です。ソクラテスは「天上の愛」についても述べています。言うまでもなくそれは「兄弟愛」、「アガペーの愛」と同じです。日本では「アガペーの愛」が上から目線の愛として受け止められがちですが、近代に生まれた間違った説明だと思われます。あくまでもそれは「無償の愛」です。他方、「智慧」は、「知識」と同じと受け止めてよいと思われます。
 ですから、ギリシア的「徳」には、「勇気」があって「忍耐」がありません。反対に、キリスト教会が促す「徳」には、「忍耐」があって「勇気」がありません。つまりキリスト教会は教会員に対して、遠い未来の復活の希望を胸に、現在の苦境を「耐える」ことを薦めているのです。ローマの支配に勇気をもって反抗するのではなく、おとなしく「耐える」ことが大事だと、教えていたのです。「いろいろな試練に苦しまなければならなくても、心から喜びなさい」(ペトロの第二の手紙)と言われています。
 このような教えを、初期のキリスト教会はもっていました。この教えで、ローマ帝国内でキリスト教が布教されたのです。ローマ帝国は当初の勢いを失いはじめていたところだったので、忍耐の精神を示したキリスト教は、帝国内に広がり、支配者層にまで広がるようになりました。
 ところが、支配者層がキリスト教徒になると、「耐える」というキリスト教徒の美徳が、今度は支配者層が社会の底辺の人々の反抗を抑えるうえで「都合の良い教え」となりました。つまり何をされてもおとなしく「耐える」ことが神への信仰のうちには含まれていると、教会は教えるようになったのです。こうしてキリスト教は虐げられた人々を救う宗教であったはずが、支配する側にうまく利用される宗教となりました。のちに科学的共産主義を唱えたマルクスが「宗教はアヘンである」と言った理由は、こうしたことにあります。周知のように、「アヘン」と言われたキリスト教徒は共産主義を嫌悪するようになりました。

他方、マルクスの共産主義も、彼自身の目的としては資本主義が生み出した「底辺の人々」を守ろうと生まれたものでしたが、後にレーニンという独裁者を作ることになってしまいました。ですから「共産主義」の理想論も、独裁者をつくって人々を虐待する社会を生み出すのです。
 「共産主義」同様、虐げられた人々(貧しい人々)を救う宗教を理想とする「キリスト教」は、熱意をもったキリスト者によって、いつの時代にも、つねに唱えられます。近代のプロテスタント運動も、その種のものと言えます。とはいえ、そのキリスト教も、虐げられた人々に「寄り添い」はしても、そのために「支配者に対して反抗する」ことまで人々に薦めるか、と言えば、そこまではしないのが一般的です。「希望」の実現は、今はがまんして自分の死後にまで延長できるのが「死後の復活」を信ずるキリスト教だからです。つぎのようにも言います。「主のために、あなたがたは、すべて人間の立てた制度に従いなさい。主権者としての王であろうと、悪人を罰し、善人を賞するため、王から遣わされた総督であろうと、彼に従いなさい」(ペトロの第一の手紙)。
しかもこの信仰に依って、イエスを見習って人のための犠牲を目指すことに情熱を傾ける「自己犠牲」の人が現れます。古代において現れただけではありません。現代でも、です。しかし「自己犠牲」というのは、「人のため」を理由にした「自殺」にほかなりません。生死を決めるのは神だ、という信仰の原点には違反しています。ですが、それがわからなくなるほどに、パウロの信仰は狂信化する傾向をもっています。
なぜでしょうか。


11.分業体制と精神の怠惰

 わたしたちは、日常の経験を土台にして「ことば」を理解しています。他者の話を聞いて納得しやすいかどうかは、日常の経験を通じてすでに納得していることがあって、他者の話が、それにうまく当てはまっているかどうかなのです。当てはまっていれば、わたしたちはすぐに納得してしまいます。週刊誌のいい加減な記事が広まりやすいのは、日頃から、記事に書かれている内容に近いことが自分の経験のなかにあると読者が記事を読む前から納得していることだからです。
つまりそういうことは、「よくあること」だと納得していることがあると、記事の内容は「それだけ真実らしく」読者に伝わります。読者はその情報は、たんなる想像ではなく、隠されていた真実が暴かれたと受け取って喜びます。その情報は偽であろうと、真実として急速に広まります。他方、その反対になれば、読者は疑念のほうを募らせて、世間の話題にならなくなります。したがって発行部数を伸ばすことのみを目標にしている週刊誌の記者は、俗受けすることに敏感であることが大事です。そのためには当人がだれよりも多忙さに振り回されて自ら考えることもままならない民衆の感覚を身につけている必要があります。そういう民衆とは、一般に貧しく、仕事に生活の時間を捧げていなければならない人々であり、多くは虐げられた人々です。そして人は、真実よりも、虐げられた人々に共感することが正義だと、誤解しやすいのです。
 また人間は面倒なことを考えることを嫌います。ものごとは効率的に、一面的に考えるほうが単純でわかりやすいものです。平和よりも戦争が、巨利を得る単純な道です。他者のものを奪うほうが、自分たちが地道な努力で利益を得ることよりも早いからです。ことに平和のうちに働いて利益を得るためには、利益をつねに配分して人々の協力を得る必要があります。独占していれば、不和が生じ、協力が得られなくなります。個人のちからだけで利益を確保することは、一般的にむずかしいことです。人は必ず複数の人々の協力を得ることで利益を得ているのです。
 他方、戦争は独裁者の命令に従う人々が居れば、敵対者から一方的に利益を奪うことができるものです。戦っている間はそのように見えなくても、勝利を得れば相手のもっていた利益をすべて得ることが戦争の利益です。そして戦うとは、相手を「やっつける」(殺し、半殺しにする)ことだけであって、それ自体は単純な心積もりで十分です。命令に従う兵士のことも、戦力になりさえすればよいと考えられます。じっさい日本のように外国との戦争に不慣れな国は、「国民を守るため」と称しながら、いざというときに「国民をより安全なところに避難させる」という計画を立てません。むしろ一般国民を盾にしたまま軍隊を動かすことを平気で考えます。第二次大戦中の「沖縄戦」はそのよい例です。なぜなら、そこまでしていたら効率的に戦争ができないからです。そして、民衆も、それを「戦争だから仕方ない」と、簡単に納得してしまうのです。
 このようにわたしたちは、ふだんの生活の経験によって理解を進めることを日常としています。ふだんの生活そのものに疑問を懐くことはまれです。そういう必要性は、日常の生活には見出せないからです。したがってふだんの生活を支えている考え方、価値観について、わたしたちは考え直してみることもなく、無意識のうちに身に付けています。そしてそれを身に付けていない人を、非常識な人と判断して非難します。
 たとえば社会を構成している「分業体制」は、わたしたちが行う社会的協力の土台として、言い換えると、自分たちの生活を支える前提として、「よいもの」だと、ふつうわたしたちは何の疑問ももちません。近代産業社会を支えるアダム・スミスの『国富論』は、分業に依って生産効率が上がるという事実の発見が原点でした。一人ひとりが専門的に技術を磨いたほうが、あれもこれもと手を出す下手の横好きよりも作業ははるかに効率的になります。現代でも仕事を得るということは、分業のうちの一角に自分が入ることを意味しています。自分に向いた仕事が何かわからないと悩む十代の若者がたくさんいます。その悩みは、分業体制に入らなければ社会の中で人間として生きて行くことが出来ないことを、若者も生活の前提として理解していることから生まれています。
 分業体制はさまざまな職業を成り立たせて、それだけ多様な個性を生かすことができる社会をつくると考える人も居ます。分業体制が人の個性を育て、人の個性を輝かせるから、分業体制は人間にとってよい体制なのだというのです。しかしひとの個性の評価も、分業体制の視点からなされるので、すべての人にそれぞれ個性があったとしても、そのすべてが価値のある個性として認められることはありません。あくまでもその人が属している社会の分業体制に個性が合致していなければ、その価値は認められないのです。しかも間違ってはいけないのは、人間は個性ゆえに生きているのではありません。個性は多様性の面白みを加えるものですが、人間が現に生きているのは、単純に神に与えられた「いのち」をもっているからであって、個性があるからではありません。個性などなくても、人間はその人に神が与えた「いのち」ゆえに生きる資格を十分にもつのです。


 さらに見落としてはならないことは、「分業」は、社会の中の上下の秩序を抜きにしては成り立たないことです。なぜなら、分業は数々の分業を束ねる人間を必要としているからです。束ねる人間は上に立って分業に携わる人間の仕事を統制します。統制する側の仕事は、分業に携わる人間に命じる内容を考える仕事で、直接にはことばだけで、目に見えないことがらを多く含みます。そして他者の目に見えない部分を含むだけ、その仕事の内容は隠されます。そして仕事が見えないだけ、統制する仕事に与えられる価値は、その仕事を知っている人間によって作られています。つまり給金も不当に引き上げられがちとなります。仕事の内容が伏せられているから、分業に直接携わっている人間には、それが不当かどうか判断がつきません。
その仕事を替わってできる人間も、その仕事を知っている人間に限られます。代わりが居なければ、分業体制が立ち行かなくなります。したがって、その種の地位は一部の人間に独占されます。その給金の額はその人たちが決めて、ほかからは変えられません。しかもそこには競争が生まれにくいために、切磋琢磨も中途半端になりがちです。
こうして分業は社会の上下の秩序を固定化します。つまり虐げる側と虐げられる側を作り出します。そして仕事を得なければ生活が成り立たないのですから、人々は仕方なくこの体制を受け入れます。そして苦悩し、だれを批判すればいいか分からないまま、苦悩と憤懣を募らせるのです。上に立つものは、下の者が分業の仕事ができなければ、その人を、そのできないことで非難し、ことばで鞭打つことができます。なぜなら、この分業体制こそ社会を成り立たせ、その効率性によって社会全体の利益を生み出すものだからです。そして上に立つものは、その利益を独占しがちであっても、その不当性は隠すことができます。上に立つものの生活空間は下に立つ人間の生活空間とは、相互の世界が見えないように、効果的に区分されているからです。

社会が持っている秩序は、社会を成り立たせている屋台骨です。社会の中に育ち、生活している人間はそれを受け入れて生きるほかありません。そのために人はこの体制を自分が「生きる」ことの前提として考えてしまう傾向をもちます。そしてそれは同時に、他者のことばを理解するときにも、話の前提として理解されています。つまり言うに及ばない常識として理解の前提とされているのです。
したがってイエスの「教え」を理解するときにも、この常識が前提となって理解されるのが一般的です。パウロの信仰は、そういう信仰です。虐げられた人々が教会に集まり、虐げられる辛さを「ともに耐え忍び」、イエスの死を「ともに悼み」、ずっと先の未来に「復活」という「救い」の希望をともに見る。それが、パウロの信仰です。「復活」というのは「永遠の生命を得る」ことですから、復活を信ずることは虐げられた人々にとって、死と隣り合わせのような貧しい生活からの救いなのです。

したがって、聖書にある「貧しい人はさいわいである」という教えは、現実に貧しい人にイエスが慰めの声を掛けたものだと、理解されます。しかもイエスはキリスト教会では「神」とされています。だとすれば、「神様から慰めの言葉を頂いた」と喜ぶ人々が居ても、何の不思議もありません。自分に寄り添って自分の苦境を理解してもらえることは、苦しんでいる人にとっては、何よりも大きな慰めだからです。
 しかし、わたしは、イエスが教えようとした信仰は、こんなふうに社会を支配する側にうまく利用されてしまうような信仰ではないと考えています。すなわち、虐待される側に寄り添うだけの解釈では、イエスの「教え」は理解できないと思っています。たしかに「金持ちが天国の門に入るのはラクダが針の孔を通るよりむずかしい」と言われる(マルコ10‐25)と、イエスは貧しい者の味方だと思ってしまいます。しかし本当は、貧しい者も天国の門をくぐるのはむずかしいのです。天国の門は、貧しい者にとっても狭いのです。決して広々とした門ではありません。


 以上で、キリスト教の名で知られているパウロの信仰について基本的なところを説明してきました。同じキリスト教の名で知られているイエスの信仰は、パウロの信仰とは別に、これから見てゆこうと思います。パウロの信仰は、日本人の常識では理解できないものをいくらか含むとしても、とりあえずいくつかの言葉の意味をあらためて考えてもらえば、現代人の常識で理解できるものです。イエスの信仰は、そういうものではありません。常識を見直していかなければ理解にたどりつけない内容です。以下で、それを検討してゆきます。
 

2024年1月3日 1時15分01秒 (Wed)

キリスト教の教え 3 八木雄二

キリスト教の教え(3)

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東京キリスト教神学研究所 所長八木雄二


7.キリストは他者の罪を贖うことができるか

 パウロが言う「人はだれしも罪びとである」という理解は、たしかにイエスの教えに含まれています。人を救うイエスの教えの根幹であると言ってもいいものです。なぜなら、「罪人であること」が、キリストに「救われる相手であること」だからです。ですから、あなたが罪人でなければ、キリストに救われることはありません。
それに対してイエスが十字架に掛けられたことによって他者の罪が「贖われた」というパウロが言う理屈は、イエス自身の教えには含まれていません。イエスは、自分が生きているときに教えたのですから、十字架に掛けられるとは、まだ知らなかったはずです。したがって、十字架に掛けられた死を含んだ教えはイエスの教えではありません。
ところで、パウロが言う「他者の罪が贖われた」とは、他者の罪の売買がイエスの死によって成立したということです。他者の罪がイエスの十字架上の死によって「帳消し」になったというのです。イエスは、そのために死んだということです。
「贖う」ということばは、ものを商売するときに使われることばです。パウロやイエスが育った時代、その生まれ育った地域はヘレニズム(ギリシア文化)の中にありました。すでにアレキサンダー大王による東西をまたぐ帝国が生まれ、それによって東西文化の間で大きな物流経済が起きていました。ギリシア語が商売用語となっていたのです。ユダヤ人たちもギリシア語を操って商売をしていました。現代で言えば英語によるグローバル経済のような状況です。当時の経済用語は英語ではなくギリシア語だったのです。パウロの教えを含む新約聖書はそのギリシア語で書かれています。
先にあげたパウロの説明は、人の罪が「売掛」として存続していたところで、イエスの死を代価にしてそれが帳消しになったということを意味します。このことばは、商売人の帳簿に見られる用法です。パウロは、イエスが十字架上で死んだことによって人の罪がゆるされたのは、ちょうど帳簿上の売掛が、或る特別なわざによって帳消しになったことに等しいと言っているのです。そしてこの帳簿上の処理は、売掛をしている側に居るのが神なので、まさに「神の恵み」(神の愛)によってなされたと、パウロは言っています。商売人が相手の貧しさに同情してまけてくれ、さらにそれ以上に、何かを恵んでくれたようなものです。つまり売掛をしている神が、掛けられている人間を憐れに思って、売り掛けていた賠償を自分のほうで代わりに払ったと言うのです。その賠償が「自分の息子を十字架に掛けて殺す」ことだったと、パウロは言うのです。
厳しい商売人なら、売掛金は同額の買掛金によって帳消しにするだけです。つまりきちんと同等の代価の支払いが求められます。これがいい加減なことになれば、商売はだめになってしまいます。パウロによれば、アダムとエバが神の命令に反してリンゴの木の実を食べた罪は、これまで帳消しにならずに、生まれてくるみんなに受け渡されてきました。しかし神を相手とする罪は、人間の力では償うことができません。そのために、人間は罪によって苦しみ続けるほかなかったところ、神が人間界に自分の息子を送り、その息子が「道」を示すと同時に「犠牲」となることによって、人間の力では償うことが出来ない罪を償い、罪を帳消しにしてくれたと、パウロは言うのです。
しかし自分の罪は自分が贖ってこそ、帳消しになるというのが社会の常識です。犯罪に対して処罰が犯人自身に対してなされ、それによって犯人の罪が法律上、帳消しになります。犯人とは別人が処罰されて、それによって真犯人の罪を社会が帳消しにしたとすれば、それは冤罪以外の何ものでもありません。常識では、不正義です。やくざの親分が子分を牢屋に入れて、自分の犯罪を帳消しにすることと同じ不正義です。したがってパウロの説明は神が不正義なことをしたという説明であり、常識的にはまともな説明になっていません。

8.パウロの真情


しかしパウロの説明は、パウロの「真情」を見事に語っています。
パウロは、素朴にイエスを神と信じるキリスト教徒の仲間に入りたいと願ったのです。そのためには、彼らの真情を自分の真情にしなければなりません。ところが、キリスト教徒の真情は、親しい人を目の前で亡くした人の真情です。しかも、その死は悲惨なものでした。子供を残虐な仕方で亡くした親の深い悲しみでした。「復活」を信じることに依ってはじめて「居なくなった」ことを受け入れられるほどの悲しみであり、苦痛でした。かつて日本でも、嬰児を失った母親が、母親のみなではないにしても、つぎに来る妊娠はその嬰児の黄泉がえりに違いないと考えて、祈ったと言われます。

パウロは弟子たちがもっていたこの家族的真情を自分の真情とするために、「子を犠牲に捧げる親の気持ち」を「父なる神」の名で説明したのです。つまり「犠牲としてあえて子を殺すとき、父なる神の悲しみはどれほどのものであったろうか」ということです。心が張り裂けるほどの悲しみであったに違いありません。その父なる神の真情に共感することで、生前のイエスを知り、十字架上の死を見た弟子たちの真情に、パウロは近づこうとしたのです。
しかし、自分の子を犠牲に捧げることは、残酷な事です。そんなことを親がするというのは常識では考えられません。鬼としか言いようがありません。神が鬼になったのか。ところがパウロはそれを、人間を愛するために父なる神がしたことだと説明しました。人間の罪(人間にまとわりついた穢れ)を拭うために、自分の子に十字架の苦しい死を味わわせたと言うのです。それほどまでに神は人を愛してくださるのだという話です。愛のためなのだから、鬼ではないという説明です。
とはいえこのような説明は、どのように見ても、話しが二転三転しているように見えます。論理が破綻しているとしか言いようがありません。しかしこの破綻は、生前のイエスを知っていた人たちが、イエスの十字架上の死に直面したときに懐いた心とは、たしかに一致します。イエスが神を天の「父」と呼んだなら、イエスは「子」です。子を思う親の気持ちは、家族の間にある愛です。子を失う親の悲しみはその愛ゆえの悲しみです。パウロは、それが「神」にもあったと説明しました。そしてその神の真情に共感することが、イエスが「父なる神」と呼んだその神をわたしたちが深く信じることにつながると、彼は考えたのです。
他方、イエスの弟子たちにとって、イエスは自分に新しい命を与えてくれた師です。感謝の思いを懐いていたはずです。そしてそれは、自分を生み出した親への感謝と一致します。したがって弟子たちにとってイエスを失ったことは、親を失った悲しみと同じです。それはイエスに対しての家族的愛ゆえの悲しみです。イエスを失った弟子の悲しみは、その愛ゆえのものです。
パウロの説明は、弟子たちが懐いた家族的な愛ゆえの悲しみを、自分のような人たちが、つまり生前のイエスとその十字架上の死を直接には知らない人たちが、自分の息子を失う神の悲しみを想像して共感することで、類似の悲しみを見出すことができるものだったのです。
パウロの説明は、さらにイエスの十字架上の死が罪に苦しむ人間のことを神が考えてくれたためだと、説明を付け加えています。つまり父なる神は、子を十字架につけることによって、弟子たちが味わった悲しみと同じ悲しみを自身も味わい、なおかつその上に、息子の死という代償によってアダムとエバ以来の人間の罪を拭うことを約束したと言うのです。この後半の追加によって、人間に対して神が深甚の「愛」(息子を残虐なかたちで殺してまで人間に明らかにした愛)を示したと説明し、それに「応える愛」、「神への信仰」を、神は人間に求めたと、パウロは言っているのです。
逆に言えば、師を失った悲しみを癒す「復活」を信じてか、父なる神の「子(イエス)への愛ゆえの悲しみ」と、それを上回る「人への愛」を信じてか、ロジックは違うのですが、どちらも同程度に神への感謝、神への愛を人々の心に導いたのです。すなわち、父なる神が息子を失う悲しみと、人の救いのためを考えたイエスの犠牲を信じることは、イエスの十字架上の死を経験した人たちと同程度の心の痛みを、想像のうちで味わうことであり、神への感謝のうちに心を癒すものでした。そのうえでイエスの復活を信じることで、さらにその心の傷を癒し、人々は希望をもつことができました。
生前のイエスを知らないパウロは、この説明を見出すことに依ってイエスの十字架刑を見た人たちの真情に近づき、似たような真情をもつことができたのです。こうして十二使徒の真情に近づくことができたことによって、パウロは自分を十二使徒の仲間にすることができました。


イエスの十字架上の死は、悲劇でした。しかしギリシア悲劇の名作が世界に通用するギリシア文化の金字塔であるように、パウロの説明は二転三転していても、ときの権力に虐げられた人々の心を引き付ける悲劇の説得力を持ち合わせていました。それによってパウロの説明はイエスの生前とその十字架上の死を経験していない人々の間にキリスト教を布教する底知れない力となりました。パウロはキリスト教会のなかで、十二使徒以上の「使徒」となることができたのです。
実際、パウロ自身が、その説明に酔うほどだったに違いありません。宗教心は、人々を扇動する者の演説が、演説する当人を酔わせてしまうときにはじめて「本物」となります。自分自身を始めとしてその主張が人々を酔わせるほどのものになったとき、はじめて宗教の説明は「本物」になるのです。イスラム教はその教説のアラビア語の美しさが人々の心を酔わせるから、それだけ宗教として「本物」だと言えます。仏教は人々を酔わせるポイントがどこにあるか明確ではない宗教ですが、読経や念仏の音楽性はその一面ではあると思われます。

 キリスト教はイエスの死を、神による「人の救いのための自己犠牲」と見なす宗教となりました。神が自ら犠牲となって見せることで、人が自ら犠牲となることをたたえる宗教となったのです。またそれを「使徒(弟子)の悲しみの極致」として伝えることで、自分自身も大きな悲しみに出合うことが多かった人々の間に、強い共感を呼んだのです。それは帝国末期の弱体化に差し掛かったローマ帝国に「犠牲を厭わない宗教」として広まりました。
「犠牲」という「身体的命を捧げる」信仰の姿は、合理性に反することは事実です。しかしその不合理性が、人間社会がもつ不合理に苦しむ人々の共感を呼ぶのです。狂気をはらんだ宗教心は、人間社会のもつ矛盾に苦しむ人たちに理屈を超えた共感を覚えさせました。その共感を共有することで、人間社会の荒波を受ける人々は、いっときの慰めに出合うことができます。同じ場所での祈りや音楽を通じた他者との共感は、人々に「神の救い」を感じさせてきたのです。
 それに対して合理性を徹底することを重んじるギリシア哲学は、当初もその後の長い歴史のうちでも、キリスト教と敵対することがよくありました。しかし同時にキリスト教会に受け入れられ、キリスト教会に冷静さをもたらすこともありました。人間社会には、さまざまな支配の構造のなかで個々人の虐待とそれに対抗する個々人の保安(防御)が埋め込まれています。人がどちらの運命を受けとるかは、神のみぞ知ることがらです。保安の壁のうちに逃げ込めることができて自分だけの思考の時を得た人は、ギリシア哲学の時間を持つことができました。言うまでもなく、それが得られずに、辛い抗いと祈りのときを持つことしかできなかった人々も居ました。現代でも、戦争と平和は、世界のあちこちに散らばって各人の運命を作っています。

長い歴史をもつキリスト教には、時代に応じて複雑にからまった「教え」が記憶され、埋め込まれています。そして神は各自にそれぞれの運命を与えています。抗うほかない運命の人と、冷静に思考できる時間をもてた人と、同じ教えによって救われるものかどうか。その確実な答えはどこにもないでしょう。とはいえ、一面だけで見るとほかの面が見えなくなり、互いの間に誤解が生じます。ここでは、大枠ですが、キリスト教会に伝えられた教えの中で、「わたしに」与えられた時間のうちで「わたしが」見つけたものを説明します。この説明は、ほかの人の信仰を否定するとか、その人がすでに入っている教会から引きずり出そうとするものではありません。言うまでもなく、信仰は自由なものです。
 


「キリスト教の教え」 八木雄二

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