神学研究会 第1回 『分かりやすいキリスト教神学』
2013年6月4日 14時30分13秒 (Tue)
5月22日(水) 第1回 『分かりやすいキリスト教神学』


サンパウロ宣教センター4Fにて神学研究会の第一回目の講義がもたれました。
研究会には、上智の中世思想研究所の所長やロマネスク美術の専門家、グレゴリオ聖歌の講師、キリスト新聞の記者や牧師など幅広いジャンルで活躍されている人々やキリスト教神学を学びたいとおもっておられる一般の方々も参加してくださいました。
もっとキリスト教神学が親しめるものとなるように努めたていきたいと考えています。
研究会には、上智の中世思想研究所の所長やロマネスク美術の専門家、グレゴリオ聖歌の講師、キリスト新聞の記者や牧師など幅広いジャンルで活躍されている人々やキリスト教神学を学びたいとおもっておられる一般の方々も参加してくださいました。
もっとキリスト教神学が親しめるものとなるように努めたていきたいと考えています。
テーマは『血みどろの磔刑と神の受肉』でした。
今回、八木雄二先生はテーマについては軽くふれて、その分、みなさんの質問に対する応答に多くの時間を注いでくださいました。
八木先生は、「救い」という問題についても、いろいろと話し合っていくことが大切だといいます。「神」「救い」「十字架」など、そういうものと出会うのはプライベートな出来事で、それを言葉にしていかねばなりません。
はたしてキリスト教のどこに感動していくのか。では、十字架にかかったキリストでなければ感動できないのか?ということも含めて話し合う必要あります。
キリスト教における価値、意味、重要性をどこに置いていくのか、ある人はその一つが、イエスの十字架にかかるまでの決意かもしれません。またある人は十字架にかかったイエスであるかもしれません。他の人は十字架までのプロセスであるという人もいるでしょう。
それでは十字架にかかったキリストがいないと山上の垂訓は意味がないのか?という問題もまた語られる必要があります。
神学は救いとは何ぞやを定義することはできるけれども、そもそも神の存在証明をすることができないのであれば、救いの証明もすることができないのではないでしょうか。
信仰による救いといっても、出会ったキリストは一人一人が違うから一言で<信仰とは何か>というものは説明できません。だから、それぞれの体験を言葉として表さねば伝えられないもので、<救い>というがその人にとっての<救いとは何か>ということを見ていかねばならない。
現代キリスト教神学において、ヘレニズム的な枠組みを脱構築することは重要であるけれども、ヘレニズム的なものとして見失ってはならないこともあります。それは論争の意味を大切にしていくことで、ソクラテスの偉大さはそれをはっきりさせたことです。つまり、それぞれの立場で意見を交換していくことが大切であることです。

研究会の『神学会報』も創刊号ができました。
第二号、第三号と作成していきます。
次回研究会は、6月19日(水)午後6:30-8:30
テーマは『教会制度と信仰』です。
場所はサンパウロ宣教センターです。
研究会の参加申し込みはこちらまで↓
http://theology.hp-ez.com/page6
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